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ぴょんぴょんの「ないないづくし」 ~多宗教モザイク国家レバノンのカオス

「シャンティ・フーラ」よりの転載

転載はじめ
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ぴょんぴょんの「ないないづくし」 ~多宗教モザイク国家レバノンのカオス


時事ブログでも紹介された、茂木誠先生の「ゼロからわかる中東問題」や、越境3.0チャンネルで、レバノンという国が大変なことになっているのを知りました。
 かつては「中東のパリ」と呼ばれ、今のドバイと肩を並べるような金融の中心だったレバノン、カルロス・ゴーンが逃げ込んだレバノンが、崩壊の危機にあったとは。
 なんで、そんなことになってしまったのか?
(ぴょんぴょん)


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ぴょんぴょんの「ないないづくし」 ~多宗教モザイク国家レバノンのカオス


イスラム教シーア派の過激派民兵組織「ヒズボラ」


パレスチナの戦争、早く終わらないかなあ。


それどころか、イランがイスラエルに弾道ミサイルで報復したぞ。


ひえ〜! イランが?


とうとう、真打ち登場ってワケだ。これまでは、手下のヒズボラにイスラエルをちまちま攻撃させていたが。


ヒズボラ? テロ組織の?


ああ、ヒズボラよ。アラビア語で「アッラー(神)の党」。レバノンの首都ベイルートおよび南北の高原地帯を活動拠点とする、イスラム教シーア派の過激派民兵組織。


                          

                                                            ヒズボラの旗
                                                      Author:upyernoz[CC BY]


シーア派・・と言われても、さっぱり?


よしよし、茂木先生の「ざっくり中東01 イランvsアラブ」を参考に説明してやろう。


よろしくお願いしま〜す。


7世紀ころ、ペルシャ帝国(イラン)に虐げられていたアラブ民族から、預言者ムハンマドが誕生した。ゾロアスター教のペルシャ帝国(イラン)が、アラブ民族に滅ぼされて、しぶしぶイスラム教に改宗させられた。イランが受け入れたイスラム教が「シーア派」だ。
シーア派は、ムハンマドのお告げをチャネリングできる、アリー家の血統こそがイスラム教のリーダーと考えている。
一方、スンニ派は、ムハンマドの言葉が文字になったコーランを、完全に理解するものは誰でもイスラム教のリーダーになれると考える。


なるほど、そうゆう違いでしたかあ。


ざっくり言うと、アラブはスンニ派、イランはシーア派。さて、ヒズボラのバックには、イランとシリアがいる。ということは?


ヒズボラはシーア派。


よくできまちた! ヒズボラの目的は、レバノンにシーア派イスラム国家を樹立すること。そしてイスラエルを滅ぼすこと。そして、この人がヒズボラの宗教指導者、ナスラーラ師。


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〈ヒズボラ書記長ハッサン・ナスラーラ: アメリカはイスラエルに何でもやらせることができる。アラブ人は、アメリカとの経済的結びつきと、イスラエルとの戦いを控える言い訳として、ユダヤ人ロビーがアメリカを支配しているという "ジョーク "を発明したのだ。(DeepL翻訳を意訳)〉


(続きはこちらから)


ヒズボラが生まれた経緯


テロ組織の親玉にしては、ふつうのおじさんだ。でもなんで、ヒズボラみたいなテロ組織ができちゃったんだろう?


話せば長くなるが、よいかの?


おねがいしまーす。


むか〜し、むかし、ある地中海沿岸に、「オリエント地域の、あらゆる民族と宗教と民俗をおさめた、美しい博物館」とも呼ばれるレバノンがあった。ここはシリアの一部で、中東では珍しくキリスト教徒の多い地域じゃった。(世界史の窓)


そう言えば、中東はキリスト教発祥の地でもあったね。


だが、よく知られるカトリック、ギリシャ正教のようなふつうのキリスト教ではない。古来キリスト教マロン派という。


聞いたことないなあ。


第一次大戦後、レバノンはオスマン帝国の支配から解放され、フランスの委任統治領シリアに入れられた。だが、キリスト教マロン派とイスラム教ドゥルーズ派の独立運動によって、1943年レバノンは独立。その時レバノンは「大レバノン」になっていた。


え? 何が起きたの?


独立に当たって、「フランスは、マロン人とドゥルーズ人が多かったレバノン山総督府の国境を拡大し、より多くのイスラム教徒を含むようにした。」(Wiki)
つまり、宗教を増やしてめんどくさくしたのよ。


                                  

                           着色範囲が大レバノンで、色分けは宗教分布を表す。
          黒点線がオスマン帝国の行政区画である山岳レバノン・ムタサッリファテ県。
                                         Author:Sergey Kondrashov[CC BY-SA]


なるほど、イジワルだね。


マロン派とドゥルーズ派はレバノン寄り。イスラム教スンニ派、シーア派、ギリシャ正教は、もともとシリアから放り込まれたからシリア寄り。(Wiki)今もレバノンの紛争が絶えないのは、フランスの策略が大元にあるのよ。


こういう国を治めるのは難しいだろうね。


当初は人口比率から、大統領はマロン派、首相はスンニ派、国会議長はシーア派で、国会議員の割合はキリスト教:イスラム教が6:5になるように考慮した。


めんどくさ〜い。それに、いつ人口比率が変わるかわかんない。


おっしゃる通り! 1948年のイスラエル建国で、実際それが起こった。土地を奪われたパレスチナ難民がレバノンに押し寄せて、イスラム教の割合が増えたんだ。「このままじゃイスラム教の支配になる」と、キリスト教徒が暴れた。


独立したのが1943年だから、5年で暴動?


さらに1958年、エジプトがシリアと統合して「アラブ連合共和国」になると、「レバノンもアラブ連合共和国に入れろ」と、イスラム教徒が暴れた。


                                    

                                                      アラブ連合共和国の位置
                                            Wikimedia_Commons[Public Domain]


みんな、不安だったんだねえ。


さらに1970年、PLO(パレスチナ解放機構)が首都ベイルートに拠点を置いたことで、PLOが政治に首を突っ込む。するとマロン派は、パレスチナ人の乗ったバスを襲撃して虐殺。これをきっかけに始まった内戦は、1975年〜1990年の15年も続いた。(YouTube)


はあ~ 15年も内戦が続いたら、国はボロボロだよ。


おっしゃる通り。そのボロボロの1982年に、イスラエルがレバノンに侵攻してきた。


なんでイスラエル?


レバノンは、イスラエルの敵であるパレスチナゲリラを匿ってるからな。だが、イスラエル軍はレバノン南部に居座って、なかなか帰ってくれない。こんな時期に生まれたのが、ヒズボラだ。


出ました、テロ組織。


さっきも話したように、彼らは、イランやシリアの支援を受けて、「イスラエルを滅ぼす」スローガンを掲げる過激派だ。1990年にシリア軍が侵攻してイスラエルは後退。2000年にヒズボラの攻撃で、イスラエルはようやく出て行った。


ヒズボラが、イスラエルを追い出してくれたんだ。


イスラエルとの国境地帯、レバノン南部の住人はヒズボラに感謝している。病院や学校を作ったり、町の清掃活動をしたり、イスラエル空爆による犠牲者の遺族の面倒をみたり。ここはまるで、独立した「ヒズボラ国」で、イランの国旗が掲げられているそうだ。



レバノンの経済的没落


でもさ、本来イスラエルとの国境を守るのは、レバノン軍の役目だよね。レバノン軍は何をしてるの?


そこが重要なポイントだ。ヒズボラはレバノン南部の住人を助けるが、レバノン国は滅ぼそうとしている。それを説明するために、レバノンの経済的没落について話そう。参考動画が2つある。



大爆発にハイパーインフレーション、中東のパリレバノンはなぜ没落したのか

大爆発にハイパーインフレーション、中東のパリレバノンはなぜ没落したのか


これは1年前にアップされた動画で、データは少々古いかもしれないが、レバノンの窮状を知るにはわかりやすい。


語りが聞きやすいね。



【ゆっくり解説】大量の難民に大爆発…ガチで経済がヤバい中東の国レバノン

【ゆっくり解説】大量の難民に大爆発…ガチで経済がヤバい中東の国レバノン


これはもっとくわしいけど、わかりやすい。


かつては「中東のパリ」と呼ばれ、1980年代まで中東の金融センター、中継貿易地点として、今のドバイの地位にあった首都ベイルート。だが2018年、レバノン経済が本格的に没落し始めたとき、ドルで貯蓄した預金が引き出せなくなった。2019年、レバノン政府は国民の給与と年金を削減した。さらに政府はレバノンのライン、インターネットに課税することを決め、民衆は爆発。そして2020年3月、とうとうレバノンはデフォルト(債務不履行)したのよ。


ジェットコースターみたいにデフォルトしちゃったんだ!


さらに追い打ちをかけるように、死者200人超、負傷者6500人以上の、ベイルートの大爆発が起きて・・。
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そう言えばあったね。あれは本当にただの事故なの?


時事ブログによると、「事故ではなく爆弾テロであるなら、ほぼ間違いなくイスラエルの仕業」「爆発物はあらかじめビルに仕掛けられていた(中略)...もし、そうならこの事件、レバノン政府の自作自演ということになる。」


どっちなんだろう?


あの際、小麦の備蓄倉庫も一緒に吹っ飛んじゃって、レバノンには1ヶ月分の小麦しか残らなかった。もともとレバノンは食料を輸入に頼っていて、レバノンポンドは暴落して、ハイパーインフレになっていて。


食べものが買えない?


さらにウクライナ戦争で小麦が入らなくなって、食うものが買えないどころか無い状態。観光産業が売りだったのに、コロナでお客も来ない。生活必需品も不足する。ガソリンもない。電気も、水もない。


ないないづくし。でも、食料と石油を外国に頼っている日本は、他人事じゃないね。


さらに、治安が悪くなっても、警察や軍隊に給料が払えない。



多宗教で多宗派のレバノン政府全体が腐敗している


そっか! だから、ヒズボラが登場したんだ。でも、なんで、そんなとこまで落ちたの? ってゆうか、周囲は石油が出る国ばかりなのに、なんで誰も助けてくれないの?


原因はヒズボラにある。ヒズボラは過半数に近い議席をもっているが、こいつらが反対するせいで、何年も大統領が決まらなかったり、何ヶ月も組閣できなかったりで、政治が空白状態になっていた。


ヒズボラ、レバノン南部の住人には頼りにされているのに。


ヒズボラだけじゃない、多宗教で多宗派のレバノン政府全体が腐敗している。国民じゃなくて、自分の派閥の存続だけを気にかけていたからな。


                     

                                                                         Pixabay


フランスが目論んだ通りになってしまった。


おそらく、上層部はとっくにカネを持って、海外に脱出しているだろう。だが問題はそれだけじゃない。レバノンは、外国からの信頼も失ってしまった。たとえば、UAE、バーレーン、クウェート、オマーン、カタール、サウジアラビアからなる「湾岸協力会議」は、以前はレバノンを助けてくれたが。


石油を分けてくれそうだけど?


だが、彼らはレバノンにそっぽを向いた。そのワケは、レバノンから違法な薬物、覚醒剤が密輸で入ってくるからだ。それをレバノンに言っても取り締まってくれない。結局、湾岸協力会議は、2年くらい前にレバノンとの国交を断絶した。(YouTube)


あ〜あ・・。


要は、政府がヒズボラに牛耳られて、ヒズボラの稼ぎである麻薬密輸に文句が言えなかったのよ。


ヒズボラは、レバノンが潰れてもいいのかな?


ヒズボラの目的は、レバノンにシーア派イスラム国家を樹立すること。イランやシリアに吸収されたいんじゃねえの?


それじゃ、キリスト教や他の宗教の人たちが迷惑だ。


だが、お先真っ暗のレバノンにも、明るいニュースが飛び込んできた。3月26日、レバノンの暫定首相ナジーブ・ミカティが、湾岸諸国に国交回復を呼びかけ、サウジとクウェートが好意的な反応を示してくれた。ミカティは「密輸品、特に麻薬の密輸を直接的、間接的に防ぐためにあらゆる手段を講じ、すべての国境通過地点での管理を強化する」と宣言した。(ARAB NEWS)


                                   

                                              ナジーブ・ミカティ
                                      Author:Ricardo Stuckert[CC BY]


今度こそ、ヒズボラの麻薬密輸を止めて、国交を戻して、レバノンが復活しますように。


ついでに、イスラエルもどうにかしてくれ。



Writer
ぴょんぴょんDr.
白木 るい子(ぴょんぴょん先生)


1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)


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転載おわり